作曲家 須田悦弘 コラム25  ライブに行ってきました

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ライブに行ってきました

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みなさんこんにちは。 10月と11月に1回ずつ、濃いライブを観てきました。   10月は、ちょっと古くなってしまいましたが、Pat Metheny Unity Group。 すみだトリフォニーホール。確か7回ものアンコールがあり、大盛り上がりでした。 会場の様子などは、他に魅力的な紹介がされていると思うので、個人の想い出話を。。。  

初めてメセニーを観に行ったのは、1995年の”We Live Here”ツアーでした。 “The First Circle”で大いに盛り上がったのですが、まずイントロ。 6/8拍子、5/8拍子をくり返す複雑なハンドクラップを、これを観客のほとんどが叩く! メセニーのライブでは定番なのですが、はじめて体験する私には驚きでした。 1995年東京公演の”The First Circle”動画があるようなので、ご興味のある方は検索してみてください。 結構、すごいものがありますよ。  

この曲では、人生で初めて「音の洪水に流される」と表現できるような体験をしました。 ラストのスキャットでは、ゾクっと来て、魂が体からフワっと抜けて行くようでした。

  それ以上にノックアウトされたのが、2005年のThe Way Upツアーです。 東京国際フォーラムでの2デイズ。2日とも観に行きました。 初日だけの予定だったのですが、あまりに凄かったので2日目は当日券で。  

“The Way Up”は70分で1曲という超大作。 正直、難しすぎて、最初はいまいちピンと来ませんでした。 しかしライブでの同曲の説得力は凄まじかったです。 この曲にも、やはり後半にスキャットがあるのですが、 涙鼻水が止まらないだけでなく、クラっとして平衡感覚がおかしくなりまして、 あれは、失神する直前だったんじゃないかと思います。   それ以上に濃かったのが、数年前の、ブルーノート東京8日間公演。 親族数名分まるかかえで「一度は観ておいた方がいい」と連れて行き、 別の日には、職場(当時)の後輩を、同じ理由で連れて行き、 別の日には昔からの音楽仲間とゆっくり観に行き。 結果、数日でボーナスを使い果たしたことも。

しかし、どれも印象深く、深く心に刻まれるものでした。  

今回のKIN(←→)ツアーでも、勿論、音の洪水に流されてきました。 ライブDVDは出るのかな。今はそれを楽しみにしています。

  あ、11月のお話が。。またいつか、記そうと思います。

 

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作詞家 漆野淳哉 コラム Vol.025 「無知の知」

みなさん、こんにちは。  

早いものでもう12月です。 12月になると、部屋だけではなく、頭の中もとっ散らかってきて、 落ち着いてコラムで、シャレを利かすゆとりもなくなりつつありまして、 今月は、得意の妄言を少々。ただし、少し知的な妄言になれればと思っています。

というわけで、今日は、「鞭の血」、 ではなく、「無知の知」についてです。 ソクラテスです。 英語で言うと、I know that I know nothing.で、 「私は何も知らないということを知っている」となるわけですが、 考えれば考えるほど、深い言葉ではないかと思います。

今は、空前の情報化時代で、なんでもクグれば、すぐそこに、 答えがあるような便利な時代でもありますが、果たしてそうでしょうか? この世の中には、知っていることよりも、知らないことのほうが多く、 その知らないことで、この世界は成り立っているのではないかと、 つくづく思います。 たとえば、子供のころからいだいていた疑問ですが、 「この地球は、なんで回っているのか? いったい誰が回しているのか」を知りたくて、 理科の先生に質問したものの、納得のいく回答はもらえませんでした。

たとえば、人間の血管の長さがどれくらいあるのか、ご存知でしょうか? 全長約10万kmですから、地球を2周半できる長さです。 と、言われても、いまだに信じられない驚異的な長さで、 自分の体なのに、そんなに長い血管があるなんて、全く想像がつきません。 人ひとり生きるために、そんなにも長い血管が必要だなんて、気が遠くなります。 たとえば、地球を照らす太陽が丁度いい位置にあって、 奇跡的に、地球には生命が誕生した、なんていう話はとても信じられません。

たとえば、人は猿から進化したというのも、本当でしょうか? ミッシングリンクがあり、人は自分の起源さえ、知らない訳です、 結局、自分の存在について、何も知らない。 そのことを、知っている訳です。 論語にも、「無知の知」と全く同じ意味の 「知るを知るとなし、知らざるを知らずとなす、これ知るなり」とあります。 なんか、とりとめもなくなってきましたが、 そんなとりとめもないことも、考えたりする余裕と言いますか、 無駄と言いますか、そんなとりとめもない時間も、 メロディと文字数とテーマに縛られた作詞脳には、 時には、必要だったりするのではないでしょうか? しないかもですが、 今日は、このヘソで。

それではまた。

漆野淳哉