ナウなヤング

 

ナウなヤングの皆様、私と同様に昔ナウなヤングだった皆様、遅ればせながら新年のご挨拶をさせていただきます。

旧年中は、当コラムにお付き合いいただきまして、誠にありがとうございました。

楽しみながらお読みいただけるもの、少しでも皆様のお役に立てるものを目指しておりますので、本年もどうぞ宜しくお願い申し上げます。

 

では、皆様からの鋭いツッコミを覚悟しつつ、同時に僅かな懐かしさを感じていただけるかと期待しつつ、本題へ。

冒頭の珍妙な言葉について、まずはご説明させていただきたい。

ナウなヤングとは、1970年代に発生した流行語の一つで、Now(現代的)なYoung(若者)という意味だ。

ナウな、或いはNowな、という言葉は、元々は広告として使われた俗語であったが、当時の若者達の間で「ナウい(現代的である)
という形に変容し、爆発的に流行した。

テレビ等のメディアでも扱われ、人々の間では、例えば流行の服で身を包んだ友人を褒める時に「そのファッション、ナウいね~」などと言い、子供達も面白がって使っていた。

しかし、繰り返し使われる内に言葉はかつての新鮮味を失い、つまりはナウいと感じられなくなり、1980年代にかけて急速に廃れていった。

現代では、ナウいは口にするのが恥ずかしい、死語の代名詞として使われている。

廃れる言葉がある一方で、意味が変化して残り続ける言葉がある。

流行語というより辞書にも載っている標準語だが、「やばい
は皆様、よくお使いになるのではないだろうか。

本来は危険だとか、良くない結果になりそうだとかの、ネガティヴな意味で使われる。

現代では元々の意味に加え、程度の甚だしさを表すようになり、最高、すごい、カッコいい、面白い、美味しい、感動したなど、ポジティヴな意味でも使われるようになった。

これだけ多様な意味があれば、やばいと言うだけで会話が成立しそうであり、まさにやばい(すごい)と感じる。

余談だが近年、やばいを超える程度の甚だしさを表す言葉として、「えぐい
が台頭しており、本来は刺激やアクの強い味覚という意味である。

ナウいは廃れ、やばいは変化を遂げた。

創作に当たっては、各時代に合った言葉選びを私は大切にしたいと思う。

今書く作品は、今ここに生きる人達の為にあるので、そこには相応しい言葉遣いがある筈だ。

流行語を多用する必要はないが、今という瞬間を生き生きと表現したいのであれば、取り入れてみるのは一つの方法かも知れない。

ナウな言葉を意識して、と脳内に出てきてしまった私は、このコラムを書きながらちょっと恥ずかしい思いに駆られている。

死語は仲間内で思い出語りが始まった時に、笑い話のネタにするのが最適な活用方法だろう。

 

現代的な言葉選びと共に、もう一つ大切にしたいと思うのは、価値観の変化である。

時代が昭和、平成、令和と流れゆき、世界はだいぶ様変わりしてきた。

普及している道具やシステムの違いも大きいが、常識とされる意見にも各々の感性にも、様々な変容が見て取れる。

殊に、エンターテイメントに関して申し上げるなら、昔は面白いとされていたものが、今では不快と受け取られるものの、何と多い事か。

テレビで古いアニメやお笑い番組の再放送を見ると、冒頭に小さな字幕が出てくる事がある。

当時の感覚や社会情勢を反映して制作された旨の断り書きだ。

作品にもよるが、表現が過度に暴力的だったり性的だったり、或いは物事の捉え方が偏り過ぎていたりで、笑うに笑えない視聴者が一定数おられる為だろう。

現代の感覚ではあり得ないシーンや、それはないよね、と口を挟みたくなるような偏見も存在するので、誰かが笑う一方で、誰かが深く傷付いているのではと心配になってしまう。

どちらにしろ、現代で新しい作品としてそれらが制作されたら、炎上必至ではないかと推測できる。

歌も同じである。

今という時代に出すつもりの作品なら、今の価値観に合わせて書くのが最善だ。

何を素晴らしいと思うか、逆に何を避けたいのか、どんなシチュエーションに共感できるかなどは、時代と共に変化してゆく。

例えば、過去の時代、二十四時間戦う勢いでの長時間労働が美徳だったとしても、今それに共感できる人は少数派ではないだろうか。

家族や友人、恋人を大切に思う心は、遥か昔から存在していても、大切にする機会や方法は変化しているように感じる。

人の価値観は多種多様で、そこが面白いところなのだが、私は時代の流れに合わせて自身をアップデートしていけたらいいな、と思っている。

日頃から慣れ親しんでいる自身の価値観を覆すのは難しく、昨日まで○○だと信じてきたけれど今日から△△ですよ、と言い聞かせてみたところで、なかなか切り替えられない。

世代間で衝突が起こる理由の一つが、そこかも知れない。

しかし、自分の芯の部分は守りつつ、しなやかな感性を以て時代の波に乗っていけたら、生き方としてカッコいいではないか。

人生がまだその境地に及ばなくても、創作に向かう時の意識だけは、常に最新でいられるよう心掛けたいと思っている。

 

或るアーティストの、古いCDを聞いた時の事を思い出した。

今のご時世ではアウトな言葉が含まれていたが、リリース当時は何の問題も起こっていなかったと記憶している。

これも時代だなあ、と軽く溜息をついた。

人は過去を振り返りもすれば、未来を夢想したりもして、時を行き来しながら現在に身を置いている。

今を生きるリスナーの現在地に、届けたい思いは何だろう。

変わってきたものは沢山あり、一方で変わらないものもある。

作詞において、ノスタルジックな作風や近未来に生きる物語の募集があったとして、本気でその時間軸に没入すると、何やら意図した作品と違うものができそうである。

そこは気を付けないといけない。

リスナーのいる場所、そして自身のいる場所も「今ここ」である事を、改めて胸に刻んでおきたいと思う。

この世に生を受けて何十年か過ごしただけでも、世の中の多くの変化を感じ取れるものだ。

ふと来し方を思い返すと、しみじみした感慨が胸に湧き上がってきて、何を見つめたい訳でもなく青空を仰いだ。

 

まるちきのこ