作詞家 漆野淳哉 コラム Vol.063. 【70年代の映画①】
目次
みなさん、こんにちは。
お好み焼きには、あんまりカツオ節をかけてほしくないタイプですが、
みなさんは、いかがでしょうか?
さて、連日、作詞したり、レコーディングにお邪魔したりしていましたが、
先日は、伊勢エビ特集の写真を撮りにちょっと遠出してきました。
解禁になった伊勢海老は、美味しすぎて、ご機嫌ですが、
そんな記事を書いてもどうかと思いまして、
今日は、何を書かせていただこうかと考えた末、
映画の話をさせていただこうかと思います。
たとえば、ハリウッド映画ですが、過激なまでの暴力シーンと言いますか、
ゲーム感覚な戦闘シーンとかが多くて、結構、うんざりです。
それでいて最後は、男女が抱き合って終わるというお決まりのパターンも
なんていいますか、飽き飽きしておりまして、好きなのは、
予測不可能なヨーロッパ映画だったり、ちょっと古めの映画で、
特に1970年代の映画が好きなので、そんな話を少々させていただこうかと思います。
思いつくままに好きな映画を挙げますと、「時計じかけのオレンジ」を筆頭に
「狼は天使の匂い」、「離愁」、「木靴の樹」、「チャンス」、「ラストショー」、
「ミッドナイト・エクスプレス」、「M★A★S★H マッシュ」など、70年代には
数えたらキリがないくらい名画揃いなのではないかと思います。
なので、ビデオを借りに行くときにも、最新の映画よりも、
古い映画を借りて観ることが少なくないです。
そして、最近借りて観た映画はと言いますと、やはり70年代の映画で、
パゾリーニの「ソドムの市」です。これは、上記の一連の名画とはまったく別で、
むしろ、おすすめしたくないNo.1級の映画かもですが、観てしまいました。><
どんな映画なのか、わかりやすく言いますと、極めて悪趣味なド変態映画です
それなのに、なぜ、わざわざ借りて観たのか、自分でもよくわかりませんが、
なんていいますか、変態ではない自分の世界観と真逆の世界観というものも
実は知っておいたほうがいいのではないかということかも知れません。
少しネタバレをしますと、舞台は、ナチ占領下のイタリア郊外の大屋敷です。
そこで、大統領、大司教、最高判事、公爵の4人のド変態が少年少女を監禁して、
やりたい放題。奴隷のように扱い、ありとあらゆる変態行為を強要した後、
残虐な方法で殺害するという、とてもショッキングで気分が悪くなる映画です。
なんていいますか、まともな家庭環境で育った人にとっては、
こうした悪魔のようなド変態の存在自体が信じられないと思います。
世界は善人ばかりで、愛に満ちていると信じていると、エラい目に遭います。
そして、こうした地獄のようなことは、決して架空の話ではないということを
知っておくべきではないかと思います。
Satan was the First Philanthropist.
悪魔は、一流の慈善家の顔を持つ、などと言われますが、
実際に、某法王、某女王、某首相らが、5万人もの子供たちを虐殺して、
有罪判決になったのは、記憶に新しいのではないかと思います。
おっと、話が逸れてしまいましたが、以前、某ホラー映画のコピーに、
「決してひとりでは見ないでください」というのがあったと思いますが、
「ソドムの市」に関しては、「決して2人では見ないでください」と
言いたくなるようなそんな映画です。><
で、実際にこうしたおかしな人たちがいるということを理解すると
なんとなく、世の中がよく見えてくるのではないかと思っています。
なんていいますか、いきなりおすすめではない映画をご紹介するというのも
ヘンな気がしますが、パゾリーニの映画は、もっと衝撃的なものもあるので、
ド変態の世界をのぞいてみるのもいいかもです。
という訳で、あまり楽しい話ではありませんでしたが、今日はこのヘソで。
それではまた。
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作曲家 須田悦弘コラム
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プロミュージシャンの凄み
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皆様こんにちは、須田です。
先週の水曜日は、珍しいお仕事をいただきまして、良い経験をして参りました。
いつものように、あまり詳しくは書くことができないのですが、
第一線のプレイヤーさん達と、幸せなことに同じステージに立てたのです。
ギタリストの石井裕さん、ドラマーの白川玄大さん、ベーシストの柳俊彰さん、ギタリストの西尾司さん。
そして、作編曲家の藤木和人さんに機材をお借りしまして。
曲がりなりにも作編曲家としての自負はある私ですが、
プロプレイヤーは憧れのままでしたので、夢のような、幸せな時間でした。
想像どおり「プロ」プレイヤーの凄みを、身近でビシバシと感じることが出来ました。
客席からでは感じることのできない、同じ場所に居るからこそ分かる、ここ一発の集中力。
やり直しが利かず、大勢の視線を一斉にあつめながら、最高のパフォーマンスを発揮する。
楽屋ではリラックスしてマイペースで、自分の時間を過ごしたり、話をしたり。完全にオフ。
一旦ステージに出てスイッチが入ると、侍のような眼差し。集中力がバン!っと高まる。これぞプロ。
あ、もちろん私も自分にできる精一杯の準備をして臨みました、念のため。
そしてもう一つ、作家である以上、やっぱりプレイヤーとしての研鑽を疎かにしてはいけないですね。
オーケストラでいえば指揮者でなければいけないわけですから、瞬時に演奏は出来なくても、
瞬時に判別してディレクション出来ないと。
マインドとかニュアンスなどは、その最低限のベースの上に、はじめて成り立つものです。
で、説教くさい結論になりますが、デキルと思い込んでいる割には、
自分の曲ですら、音符をコソっと一つ二つ取り替えても、耳だけで気づかないんじゃないの?
生演奏してもらった時に、プレイヤーが間違えちゃった時に、気づけないんじゃないの?
と思うような人が増えています、それはプロではないし、デキる人ではないです。間違いなく。
そこをクリアするには、DTMだけでは不可能で、下手くそだろうと何だろうと、楽器と格闘した経験が必要です。
そしてせめて、小学校の音楽の授業で習う楽譜くらいは、読めないとね。
プロの作編曲家のスキルとは、そのはるか、はるか先にあります。
更に、そんな場所で、生きるか死ぬかのせめぎ合いをしています。
それでは、また来週!
須田悦弘