人間ウォッチング
音声でも画像でも、生成AIを使えば容易に創り出せる現代において、私達が行う作詞は100%人力である。
人間の力でモチーフを選び、流れを展開し、脳味噌を絞り尽くして仕上げる一連の作業の後、出来上がった作品を人間に楽しんでもらう。
人間による、人間の為の歌創りだ。
対象となるリスナーの年齢層、歌手の個性、タイアップの有無など、あらゆる需要に合わせて詞を書く必要がある為、自分の中にあるアイディアのストックは、多いに越した事はない。
そんな訳で、私は新しい切り口や面白い情報を探している。
とにかく情報を集めまくり、自身が生成AIにならなければ、などと意気込み過ぎるとただの苦行だが、面白がりながらアイディアの引き出しを増やすには、人間ウォッチングが最適だと思っている。
必要なのは好奇心、それだけで準備OKだ。
人の会話は生き物である。
こちらの予想もしない展開が繰り広げられたり、自分に無い感覚や価値観が飛び出してきたりするので、面白い上に参考になる。
某有名シンガーソングライターが、喫茶店で隣り合ったカップルの会話に耳を傾けて作品の着想を得た、という逸話を知って、私も人間ウォッチングを倣い始めた。
とはいえ、何処のどなた様かも分からない他者の会話や行動を、作品の参考にさせていただくので、個人が特定されるようなアウトプットはしないのが前提である。
私が経験した人間ウォッチングの一例を、今回ご紹介させていただけたらと思う。
或る観光地で、20代前半と思しきカップルが、私のすぐ前を歩いていた。
人々は皆、混雑した歩道をゆっくりと進んでおり、彼等と私との距離もかなり近かった為、意識すれば会話を聞けそうだった。
彼女はとても楽しそうに喋っていた。
時折、二人は目を合わせて微笑み合っていたので、私にもその横顔がはっきりと見て取れた。
ラブソングの主人公に相応しい、理想的な美男美女である。
ロマンティックな言葉を期待した私は、ワクワクしながら彼等の会話に耳を傾けた。
しかし、彼女が語っていたのは、何と「お尻の話」であった。
詳細は差し控えさせていただくが、大まかには、日本人と外国人とではお尻の形がどのように違って、というような内容であった。
人混みの中、彼女はずっと弾けるような明るい声でその話をしており、よく見ると、彼はニコニコして相槌を打ちながらも、何処か困った様子だった。
彼はさりげなく別の話題に変えようとするのだが、どうしても彼女の関心はお尻の方に戻ってしまう。
私は必死で笑いを堪えながら、ふとお尻の話は歌になるのだろうかと考えた。
堂々の市民権を得たお尻の歌といえば、2007年、NHKテレビ「みんなのうた」で放送された「おしりかじり虫」だろうか。
その歌は当初、放送を見た子供達の関心を集め、やがて様々な世代に支持が広がっていったと記憶している。
「おしりかじり虫」は大きな人気を得て、絵本やアニメ、ゲームにもなり、2012年にはシリーズ第二弾として「おしりの山はエベレスト」がリリースされている。
今後、そこまでお尻の歌の需要があるかは分からず、会話の内容がどう使えるのかさえ見当もつかないが、私の情報ストックの中には、しっかり残しておいた。
一方、楽しそうな彼女と困っている彼の構図として見れば、ほのぼのとした、或いはコミカルなラブソングに活用できそうである。
そして、歌ではないが、この経験を今回のコラムの核にはさせていただいており、私は秘かに彼等に感謝している。
もし、このコラムを読みながら、お食事中の方がいらっしゃったら、お尻の話などしてごめんなさい。
人間ウォッチングの他に、有効なアイディア探しがあるとしたら、月並みかも知れないが、本を読んだり映画館に出掛けたりするのも良いと思う。
そこにも、今の自分に無い感覚や価値観が、新たに見付かる可能性があるからだ。
プロが創り、お金を取って提供している作品であるからこそ、本や映画には質の高さがあったり、上手い事を言っているなあ、と感激できたりする部分があるだろう。
しかし、念頭に置いておきたいのは、それらも歌同様、他人様の著作物であるという点だ。
どんなに素晴らしい言葉に巡り会い、自身の作品に使いたいと望んでも、そのままフレーズを引用すれば著作権の問題に引っ掛かり、後々大変な事になってしまう。
歌を創るのに「既存の歌をパクってはいけない」というのと同じである。
他人様の作品からは着想を得るだけに留めておき、自身の作品に持ち込まないよう気を付けたい。
人間ウォッチングの成果や心に残った言葉、使えそうなアイディアが思い浮かんだ時には、ノートに書いておいた方が良いよ、というアドバイスを先輩方からいただき、私もそれを実行してきた。
そのアイディアノートは、実は普段殆ど使わないのだが、無駄かというとそうでもない。
得られた情報の全てを記憶し、使いたい時に自由に引き出して展開できれば素晴らしいが、私は自分の脳のキャパシティにそこまでの余裕がない気がしている。
年を重ねると単純に忘れっぽくもなるので、記録に頼るのは大いにアリだと思う。
詞を書くにあたり、なかなか最初の突破口を見付けられない時、書いた後で忘れていた記録から、ヒントを得られる事がある。
また、過去に一生懸命考えたフレーズではなく、「ジェラート」だったり「サイレン」だったり、どうしてこれ?という言葉が目に飛び込んできた瞬間、一気に詞の世界が動き出す事もある。
創作の為のアイディアを、どう見付けてどう貯めておくかは、人によって違うと思うので、ご自身に合ったやり方を見付けてみてはいかがだろうか。
さて、私は次、何をしてみようか。
休日、喫茶店のモーニングに出掛けて、香り高いコーヒーを楽しむ人々に溶け込み、ひと時を過ごしてみようか。
もし、素敵な会話やシチュエーションに出会えたらラッキーだ。
今年七月からコラムを書かせていただき、気付けば世の中はクリスマスムード一色、この半年間のお付き合いに厚く感謝申し上げますと共に、来年も引き続きお付き合いいただけましたら幸いです。
皆様、どうぞ良い年の瀬をお迎え下さい。
まるちきのこ