8月29日
8月29日がやって来る。
私にとっては、生涯忘れられない日だ。
ヴィジュアル系ロックバンドLaputa(ラピュータ)のヴォーカリスト、akiの祥月命日。
享年52。
今回のコラムでは、私の最も尊敬するアーティストである、Laputaとakiについて語る事をお許しいただきたい。
幼少期に親しんだロシア民謡を出発点として、様々な音楽との出会いを重ねつつ、私がバンド音楽に傾倒したのは思春期からだ。
中学時代に安全地帯やチェッカーズと出会い、高校時代にはBUCK-TICKなど、後にヴィジュアル系と呼ばれるレジェンド達に夢中になった。
折しも1990年代、バンドブームが到来した。
私はヴィジュアル系ロックバンドの、耽美で退廃的な世界観に強い興味を覚えて、CDショップに通っては音源を買い集め、気になるバンドがあれば遠方のライヴにも出掛けるようになった。
その流れで1994年、当時インディーズだったLaputaのマキシシングル「私が消える」を手に取り、次いでフルアルバム「眩~めまい~暈」を聞いたのだが、ここで私は楽曲の持つ豊かな叙情性や完成度の高さに惚れ込み、一気に「ドはまり」したのだった。
以後、Laputaのメジャーデビューと活動休止を経て、その後ソロになったakiの音楽と、私は長いお付き合いをさせていただく事になる。
akiは類いまれなヴォーカリストだ。
力強いハイトーンヴォイスが大きな魅力で、その声質は唯一無二としか説明しようがなく、私の知る限りでは、似たような声の持ち主に心当たりはない。
歌えば歌うほど美しく澄み渡る声で、人の世の悲しみや叶わない恋を切々と歌い、時に凶器のようなシャウトで観客を煽り立てる変幻自在さは、聞いていて心が躍る。
クセの強い歌い方を、ファンは親しみを込めて「aki味」と呼んでいた。
akiがリーダーとして在籍したLaputaは、1996年にシングル「硝子の肖像」でメジャーデビューした。
メンバーはaki(Vo)、Kouichi(G)、Junji(B)、Tomoi(Dr)の4人で、音楽的にはダーク、ハード、メロディアスを3本柱とした本格的ハードロックだった。
前期のLaputaは、Kouichiの作曲が殆どを占め、疾走感のある華やかな楽曲が多いが、哀愁溢れるメロディラインは、しばしば「和風」と称されていた。
因みに、ギターソロは悶絶しそうなほどにエモーショナルだ。
後期はJunjiの作曲が増え、バンドサウンド主体からエレクトロニック・ダンス・ミュージックの方向に舵を切っていた。
両方の楽曲を聞き比べると、同じバンドの作品かと驚くくらいに印象が違うが、akiの圧倒的な歌唱力が、どちらも確かなLaputa色にまとめ上げている。
Laputaは2004年に活動を休止し、akiは2005年からソロ活動を開始するが、彼を語ろうとする時、「元Laputa」とは余り言いたくない。
Laputaの延長線上にakiがいて、それは切っても切れないものだし、彼はソロになった後も、Laputa曲をセルフカヴァーして歌い継いできたからだ。
加えて、ファンの一人としての本音を申し上げれば、どちらも好きだから分ける意味がないのだ。
私は作詞の在り方を、Laputaの楽曲を聞き込む事で学んできた。
作詞の基本は通信講座で学んだが、その後はひたすら創作しながらの独学だった。
作詞を学び始めた時期とLaputaに出会った時期がほぼ重なっていた為、作詞の殆どを手掛けていたakiが紡ぎ出す多くの言葉は、私の最高の教科書になった。
例えば、ライヴ映えする楽曲とはどういうものか。
ライヴやアルバムの1曲目を飾るにふさわしい華はどう創るか。
コール&レスポンスとは何か、どうすればそれを生かしてライヴでの一体感に繋げられるのか。
CDを聞くだけに留まらず、ライヴ会場にも頻繁に足を運んで、場の熱狂と興奮を体験してきた事も、後々大いに役に立った。
そして、何より大切だと感じたのは、徹底したリスナーファーストの精神だ。
リスナーあっての歌でありライヴなのだ、という信念だ。
いかにリスナーに喜んでもらうかが最大の課題であり、終演後、ライヴ会場を後にする人々の満足そうな笑顔に、私はその結果を見たのである。
詞を書く上での手法や姿勢といったものが、誰かから誰かへ受け継がれるものならば、私は間違いなくakiから受け継いでいるし、それは今でも私の指針になっている。
私はクライアントの方々が求めるものを提供させていただく作詞家であり、自身の美学や世界観を矜持とするアーティストと立場こそ違うが、同じ「詞を書く者」としての尊敬の念は、ずっと心の中にある。
akiは私に大きなものを遺してくれている。
今、詞を書く私の生活の中にも、akiは生きている。
Laputaは一旦の終焉を迎えたが、akiはお爺さんになってもずっと精力的に歌い続けてくれるのだろうと、勝手に信じていた。
日常の様々な出来事に忙殺され、ライヴからは足が遠のいてしまったが、たまにSNSなどで活動状況を垣間見ては、元気そうで何よりと安心していた。
akiの急逝が各メディアで発表されたのは、葬儀後の2023年9月1日だった。
その後、私は何か月にも渡って精神的に落ち込み続け、他の事などどうでもいいからライヴに行っておけば良かったと、本気で後悔した。
翌2024年8月29日、akiのソロ活動を支えたサポートメンバーによる追悼イベントが東京で開催され、同年9月28日、彼の生まれ故郷の名古屋でLaputaが一夜限りの復活を果たした。
そして今年、2025年8月29日、東京で再びLaputaが始動し、終結する。
今度こそ、本当に最後だ。
楽器隊メンバー3人が揃うのは勿論の事、映像出演とはいえ、ステージ上で歌うakiにももう会えなくなる。
この日が楽しみなような、一生来て欲しくないような複雑な気持ちだが、日が近付くにつれて何故か、自然と身が引き締まるような思いになる。
8月29日、私は何らかの心境の変化を迎えるのだろう。
何が終わって何が始まるのか、この日を経験するまで分からない。
まるちきのこ