作曲家 須田悦弘コラム17  

好きな音楽について~その4

皆様こんにちは、須田です。  

さて、大学でも無事に好きな音楽のコピーバンドを組む事が出来た私ですが、 入部した軽音楽サークルには、実に多彩な趣向を持つ先輩や同期が所属していました。

もともと、ギターが歪んでるか、歪んでいないか、だけでバンドを判断して、 歪んでいないと違和感を感じた(というか、軟派だなあ、と思っていた)私ですが、 徐々に、まわりの影響を受けるようになりました。  

特に、コピーだけではなく、オリジナル曲を作っていた先輩に憧れまして、 自分も作曲をして、デモテープを作ってみたい、と思うようになりました。

やってみると、”軟派”の一言で片付けていたものが、ジャズだったりラテンだったり、 その先輩のバックボーンがフル活用されたポップスだったことに驚きを覚えました。   オリジナルを作るようになって、聴く音楽の傾向もだいぶ変化しました。

中でもジャズ、フュージョン(この言い方、今はしないですね)。 というか、”Pat Metheny”一点買いで、取り憑かれたような状態でした。  

当時の直近3作、   First Circle Still Life (Talking) Letter from Home   この作品に巡り会えなかったら、今、音楽をやっていなかったと思います。 メセニーを知ってからはじめての、待ちきれなかった新作   We Live Here   も含めて、私なりに感じた共通点を挙げるならば、 音楽を聴いているだけなのに、大スクリーンで映画を見ているような感動につつまれることです。

いや、むしろ、実際にその場所に浮かんで、景色を俯瞰しているような感覚とでもいいましょうか。 エアコンの効いた透明カプセルに乗って、アメリカの大地やオーロラや砂漠や密林を旅しているような。  

難しい説明なしに、体に自然に染み込んでくる音楽。 なのですが、これが、自分も同じようなことをやってみたい、と思うと、 実は難解な微分方程式の上に成り立っているようなもので、絶対に出来ないんですよね。

足下にも及ばないどころか、稚拙な別物になってしまう。ここがまた、魅力。   あれから20年間、ずっとその世界観に魅了され続けています。

微分方程式も、少しは解けるようになってきました。 今、コンペを通していろいろな音楽を作るチャンスをいただいていますが、 いつか、自分なりの透明カプセルを作ってみたいと、考えています。  

 

コラム18 メロディ・メーカーって? その1/2

 

  皆様こんにちは、須田です。

  私にはメロディ・メーカーという言葉の意味が、よく分かりません。

分からない上に、あまり好きではありません。  

稀に、私も「メロディ・メーカー」としてご紹介いただくようなことも有るのですが、 有り難いことなのに、何となく、小馬鹿にされたような感覚になってしまいます。 “音楽を作る者”として人様に認識していただいているのであれば、それは喜ぶべきなので、 ”小馬鹿”感覚の直後に、自分の度量の狭さを痛感して自己嫌悪に陥る、という流れです。

  何でだろう。おそらく、自分のことをメロディ・メーカーだと認識していないからだと思います。 鼻歌だってメロディですから、そういう意味では、かなり多くの人が、メロディ・メーカーなわけです。 作曲をメロディ・メイクとするならば、うちの祖母や母も、洗濯物を干しながら作曲していました。

  でも、それはやっぱり作曲じゃないと思うんです。 ”作曲”というのは、アンサンブルを組む特殊技能のことではないでしょうか。

鼻歌でも、たとえばギターの弾き語りになって、はじめて作曲。歌とギターのアンサンブルです。 自分で弾けなくても、譜面に残すなり、プレイヤーやコンピューターに演奏してもらうなり、 音が重なる、つまり和音になってこその、作曲。  

どうでしょう。

  つづく。

 

 

  コラム19 メロディ・メーカーって?その2/2

  私は作曲の講師をしているのですが、よく生徒さんに、G線上のアリアや、パッヘルベルのカノンを、メロディだけ、あるいは、全然違うベースラインを組み合わせて聴かせたりして、 この状態でも、今のように何百年も人の心に残る曲になったかどうか、考えてもらいます。  

カノンは、カノン進行あっての名曲ではないでしょうか。 カノンのメロディづくりは作曲、進行を組み合わせるのは編曲、 と、分けて考える事に、何の意味があるのでしょう。デメリットしか、ないような。

  独唱だって、良いモノあるじゃないか。たとえば○○国家独唱。 あれはどうなんだ、と一瞬思いましたが、 あれだって、もともとの伴奏を思い出しながら聴くからこそ、独特の味が出ているはず。 知らない曲を、いきなりメロディだけ聴いて感動するものかな。  

メロディを含むアンサンブル。 Popsであれば、「メロディとベースのインターバルと、その変化の様子」に集約されますが、 その音波が人の耳に入ってきた時、心が動かされ、感情が生まれるのではないでしょうか。 作曲家は、そこに日々腐心しているわけです。  

その工程を、「メロディ・メイク」とくくられるのが、面白くないようです、どうも。 結論のない、偏屈な中年の独り言になってしまいました。  

それでは、また!