作曲家 須田悦弘 コラム 7「言語化って恐ろしい」

8「言語化って恐ろしい その2」9「言語化って恐ろしい その3」  

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言語化って恐ろしい

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まだ6月も上旬なのに、30℃を軽くオーバー、今後どうなってしまうのでしょう。 さて今回は、音楽そのものの話とは少し逸れてしまうのですが、言語化って恐ろしい、少し大げさです、 「その人、本当にそういう意味で言ったのかな?」と感じることについて書いてみます。 著名人の発言が、ある一部分だけを切り取られて、一人歩きして、大騒ぎになることがありますよね。

古いですが、「だれだれちゃんは大事な時に転ぶ」発言とか。 話の全体を通して読んでみると、どうも報じられ方とニュアンスが違うような。

私が発言自体に賛成か反対かでは無く、あくまで「ニュアンスが違うこと」自体に対する違和感。 ここで音楽の話ですが、私が作曲するようになって、幾年月。十代のころから今まで、 さまざまな方々と音楽談義を交わして参りました。 リハ中だったり、お酒の席だったり。 バンド仲間だったり、偉大な先輩だったり。 生徒と講師だったり、講師と生徒だったり。 まあ、「作曲に音楽理論が必要かどうか」という議題に関しては、尽きることがないようです。

先に言ってしまうと、私に関して言えば、「必要無いワケがない」と思っています。 でも、そんな私でも、場合によっては、 「理論なんか気にするな!」「歌心を大事にしろ!」「どんな音楽を聴いて来たかで決まる!」、 のようなことを、酔っぱらって、いや、シラフでも言っている時があります。 無責任な話です。

似たような話で、作曲はコードから先にしてはダメだ、メロディこそ命だ、という議題もあります。 私がその質問をされた場合、質問された方によって答えが変わっているように思います。 無責任な話です。 何が言いたいか見えて来てしまったような気もしますが、 この話、次回に続けようと思います。

それでは、また!  

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言語化って恐ろしい その2

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「音楽理論は必要ないよ」この言葉が放たれる場面について、幾つかシミュレーションしてみました。

楽器に長く親しんでいて、沢山耳コピしたり弾き語りしたりして、言語的に音楽を身につけている人が居ます。 そういう人は大概、好奇心が旺盛で感覚も鋭くなっているので、身に付いていない音楽に敏感に反応できます。 「あ、今のコード進行カッコよかった、何これ、分からない。」といった具合です。

そして、分からなかったところを研究し、新たな技法として身につけ、上達することが出来ます。 これを繰り返すと、かなりの分量の音楽的な「話法」が身に付きます。

こういう人たちが、日常会話で「音楽理論の勉強は必要ないよ」と言うかもしれません。  

人に見えないところでものすごく勉強している大御所が、セルフプロデュースで、 「全部感覚でやってるよ」的に「理論は要らないよ」と雑誌記者に語ったかもしれません。   セルフプロデュース以前に、「私は勉強している人間です」と言い切るのは、 恥ずかしいを通り過ぎて自らを背水の陣に追い込む(大げさ)ような場合もありますし、 無難に「勉強してません=必要ないですよ」と言ってしまった可能性もあります。

  あるいは、勉強している人ほど、勉強が足りないと思っているものです。 まだまだです、という意味で「理論を勉強していません」と発言し、 それが、「○○さんは理論を不要と言っている」に置き換わっているかもしれません。

  もっともっと、数えきれないくらいの「必要ないよ」があると思います。   一方、こうした言葉を、楽器も何もかも初心者、 インストールしたてのDTMソフトで作曲しようとする人が聞いたとき、 「そうか、作曲に音楽理論は必要ないのか」と受け取ってしまうのは、仕方のないことですが、 まったく意味がズレていることは、冷静に考えればお分かりいただけるかと思います。

  誰が、どんな話の前後関係で、どんなシチュエーションでその言葉を発したか、 自分でしっかりと咀嚼しないで真に受けると、損をするかもしれません。   次回も、もう少しこの話題について記す予定です!

それでは、また。

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言語化って恐ろしい その3

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「作曲に音楽理論は必要ない」は、ある範囲内では真実だと思うのです。

前回書きました、「このパターン」の人は、私の知る限り素晴らしい曲を書くかたばかりです。

  >楽器に長く親しんでいて、沢山耳コピしたり弾き語りしたりして、言語的に音楽を身につけている人が居ます。 >そういう人は大概、好奇心が旺盛で感覚も鋭くなっているので、身に付いていない音楽に敏感に反応できます。 >「あ、今のコード進行カッコよかった、何これ、分からない。」といった具合です。 >そして、分からなかったところを研究し、新たな技法として身につけ、上達することが出来ます。  

必ず、どこかでこの行程を通らないと、作曲家としての第一歩が踏み出せないのではないでしょうか。 私の場合も、「このパターン」だけで長いこと作曲をしていました。その結果たとえば、 ・Diatonic 7th Chordを使ったコード進行 ・C-Gm7-C7-F-Em7(♭5)-A7-Dm7、のような、ヒット曲で普通に聴けるSecondary Dominant進行 ・F#m7(♭5)-F△7-Em7-Am7、あるいは、A♭△7-B♭6-Cのような、巷に溢れている借用コード ・ⅤーⅥ♭(=転調先のⅣ)のような、使い尽くされた感のあるサビでの同主調への転調。

このようなものは、理論として勉強する前に、耳で仕入れて手クセ的に作曲に使っていました。

これでも、ある程度幅を持って作曲することは出来たので、音楽理論の勉強は必要ないのかもしれません。

  それでも私は常に、いつかちゃんと勉強したい、と思っていました。

何故なら、カッコいいと思っても、仕組みが分からない音楽の存在に気付いていたからです。  

さて次回はいよいよ区切りの第10回! この話題のまとめで締めたいと思います。

それでは、また。