作曲家 須田悦弘 コラム15・16  

好きな音楽について~その2  

皆様こんにちは、須田です。

今回も、どんな音楽が好きだったか、前回の続きを書かせていただきます。

  確か中学2年生の後半頃だったと思うのですが、エレクトーンをやっていた流れで、 友人にバンドでキーボードをやらないかと誘われ、はじめてみました。 最初にコピーしたのは、DEEP PURPLEのSmoke on the water。 その後、Highway Star や、Burnなど。僕の世代では、かなりベタなコースですね。

それをきっかけに、キーボード云々は関係なく、Hard Rock、Heavy Metalにはまって行きました。   生まれてはじめて友人だけで観に行ったコンサートは、中学の時の、忘れもしない MEGADETH。 ヘッドバンギングをやりすぎて、首と腕の筋肉痛が数日間続きました。だんだん薄れて行く痛みが、コンサートが過去のものになるようで寂しかったのを覚えています。

  この時代に一番聴いた、というより、もはや青春そのものだったのが、Yngwie Malmsteenです。 私はギターは弾けないのに何故かというと、作曲家としてのイングヴェイが好きだったのです。 アルバム”Rising Force”に収録されている”Icarus’ Dream Suite Op. 4”は、1000回は聴いたと思います。 切ない泣きの主旋律に、壮大な響きを醸す分数コードを伴うオーケストレーション、透明感のある音色。 “Trilogy Suite OP:5”も1000回聴いたと思います。全半のテーマは、そんなに、なのですが、 組曲というだけあって、楽曲の展開や、緊張感と荘厳さが同居する分数コードとスピード感がたまりません。  

イングヴェイの新作が待ちきれなかったので、雑誌で同じようにカテゴライズされていた 様式美メタル、北欧メタルにも色々手を出してみたのですが、 透明な「だけ」、速弾きな「だけ」、メタルな「だけ」、でイマイチしっくり来ませんでした。

  少し遅れて同じくらい熱中したのが、私が高3の時に衝撃のデビューを果たした“Dream Theater”です。 私のクラスでは何故か、洋楽ヘビメタ、ハードロックを聴く友達ばかりで(確かクラスの半分くらい)、 それはもう、とんでもないバンドがデビューしたぞ、と学校でも話題で持ちきりでした。 “Ytse Jam”は、無理矢理コピーしました、メチャクチャでしたが。

  どうも、インスト曲が多いですね。  

さて、このネタはそんなに引っ張るつもりは無かったのですが、意外になかなか終われないです。

長くなってきましたので、また次回続きを記そうと思います!

 

 

  作曲家 須田悦弘 コラム16   好きな音楽について~その3  

皆様こんにちは、須田です。

  高校時代、まわりの友人がほとんどメタラーで、それを特殊と思わず、日常の環境だったことを、前回書きました。 Whitesnake(Whitesnake) And Justice for All(Metallica)   こんな伝説バンドの代表作がリリースされていたあたり、すごい時代だったんですね。上記ほど爆発力はありませんが、 Keeper Of The Sevens Keys(Helloween) コレもよく聴きました。ジャーマンメタルが熱くなってきた頃じゃないでしょうか。

Guns N’ Roses も、ちょうどその頃ですが、私は、いわゆる「様式美」系を好んでいましたので、チラっと聴く程度でした。

  そんな時、ある友人二人が、「プリンセスプリンセス」を聴かせてくれました。 男子校だった上に、男声の音楽ばかり聴いていたこともあり、「こんなお姉さんたちが!」と、一瞬でファンになりました。 Yngwieも青春でしたが、”19 GROWING UP”も、確かに私の青春です。

プリプリを知った直後に出たアルバム”Let’s Get Crazy”は、初回限定ポスター&ブックレット付きCDを買いました。 先の友人二人と私の三人で、密教のようにコソコソ聴いていたものです。今思うと、全然密教じゃないのですが。

  そんな私も大学に進学いたしまして、そこで驚愕の事件(?)が発生します。

  早速バンド仲間を見つけようと、エレキギターをかついだ人に話しかけてみると、 「RAINBOWって何?」と言われてしまったのです。 最初は、「何だ、変なヤツに話しかけちゃったな。」と思ったのですが、 彼の言う「リンドバーグ」を知らない自分の方が変なヤツだと、すぐに気付くことになります。 これではバンド仲間が見つからない!とショックを受けて、落ち込みました。

  打ちのめされた私でしたが、しかし、そこは、高校よりも圧倒的に人数が多い大学キャンパス。

ようやく似た趣向を持つ先輩達がいらっしゃる軽音楽サークルをみつけ、バンドを組むことができました。   そこで、私の人生を左右する経験をすることになります。  

つづく。