鳥海コラム Vol.13 作家デビュー6周年からの7周年突入の話

皆様こんばんは 作曲家の鳥海剛史です。 毎日暑い日が続いておりますね。 10492450_646890585388198_7827790354118389771_n-1

最近は自宅スタジオフル活用で、 レコーディング、アレンジ、あと珍しく他のプレイヤーの方を呼んで、 ギターのレコーディングなんてやりました。

明日スタジオを一新する予定で、 夕方から大工事ですの予定です。

あとは最近は仕事の合間を見つけて、 気分転換にプール行ったりしてます。

プールで浮き輪に乗って浮いている時が、 一番曲が思い浮かぶんです…(笑) なので僕はプールに行くのも仕事なんです…(笑)

さてさて、あまり僕はアニバーサリーを祝ったり、 節目の年月日などは気にしないタイプなのですが… やはり作曲家デビューした7月30日というのは、 意識しちゃいますね。

というわけでコラムを書こうと思ったタイミングと、 7月30日という日付が重なったので、 たまには自分の事なんぞ書いてみようかなと思います。 それと合わせまして、 最近事務所の新人作曲家の方々のワンポイントアドバイスなどをやっております。

やはり皆さんから聞かれたりするのが、 コンペに勝ったときの感覚だったり、 体験を聞かれたりするので、 そのあたりもお話出来ればと。。。

僕の作曲家デビューは、2008年の7月30日で、 V6のVIBESというシングル、及びそのVIBESツアーのイメージソングが、 初めてコンペで採用された作品でした。

それ以前、私は2008年の5月まで、 某大手のIT企業で、着メロや着うたなどを作る、 モバイルクリエイターの仕事に従事しておりました。

なので何のあてもなく会社を辞めて、 ひたすら来たコンペを全部やるという生活でした。 これがまたシビアな世界で・・・ コンペに出すという事は、 勝ちか負けかしかないわけで、 コメントやダメだしやお褒めの言葉なども無いわけで、、

果たして自分のデモが良いのか悪いのかもだんだん判断できなくなってくるという・・・

でも一喜一憂する間もなく、とにかくしぼり汁出るまで作っていたのを覚えております。

メロディーにこだわりすぎて、とっても歌いにくいメロディーを量産してしまったり、 毒にも薬にもならない教科書的な曲を作ってしまったり。。。

皆さんもそういった経験があるかと思います。 孤独な作業ですが、当時はもうそれしかやる道が残されてなかったので、 ひたすら作り続けました。

でも打てば当たるのか、、 本格的なコンペ生活を初めて、 2か月目にはV6のコンペで採用されました もちろん周りの、、当時知り合ったばかりの作詞家の漆野さんや、 仮歌を歌ってくれるボーカリスト様方のサポートあっての勝利でしたので、 すごい爽快感があったのを覚えております。

ちなみに2作目が、アイドリングの7枚目のシングル表題曲「Baby blue」 3作目が、KAT-TUNの10日間連続東京ドームコンサートのダンストラックアレンジ。。。

4作目、5作目、6作目あたりが、丁度T&Eの熊谷社長と知り合った頃で、 TBSアニメにゃんこい!関連で3曲ほど榊原ゆいさん、今井麻美さんで採用されました。

以前から周りに言われていた「コンペなんか絶対決まらない」という風潮を押しのけられた気がして、 俺でも出来るじゃん!っと思いました。

そしてその当時はコンペ中心の生活で、 当時は会社勤め時代の貯金もあったのですが、 それにはなるべく手を付けないようにし、 外注で着メロのMIDI制作や、今でいうガラケーのケータイゲームの音楽制作なんかを、 かなりの数やりました。

これは面白かったですね! 音色も小節も、さらに容量も限られてる中で、 ゲームの音楽を作るという。

着メロで培ったMIDIのテクニックがあったので、 これは今でも多くなりがちなトラックを作る中でも、 役に立っているテクニックです(それでも僕は多い方ですが…)

そうこうしているうちに、各クライアント様に気に入られたようで、 パチスロの音楽や、企業の音楽制作、CM制作まで 色々な仕事を依頼して頂き、今に至る礎になりました。 そんなわけで満6周年、これから7周年目に入るわけですが、 今後もいかに皆様の笑顔が見れる仕事が出来るように、 気合を入れ直して行きたいと思います。

ふんどしを締め直していきたいと思います。

でも僕はふんどしを履いていないので、 白ブリーフのゴムをギュっと握って見ました。 。。。。

そんなこんなで、また昔のこぼれ話なんぞ思い出したら書いてみたいと思います。

それではまた書かせて頂きます!

鳥海剛史